体験  

平成八年、三月の始め、妻が「今日は休みやし、そば打ち体験に行ってこん?」と言ってから○○年。「○○年か、あの言葉がなかったら、今は何をやっとったんかな。こだわりの○○でも作っとったかな。もしかしたら○○にでも。○○○かな。まあ、とにかく○○に。ところは福井県池田町のそば打ち道場。大きな部屋にそば打ち台が二五台はあった。体験は教えてもらいながらやっと仕上げた。腕と肩が痛くなった。それが、どんな状態でそうなったのか、今ならよくわかる。帰りの道中、「畑が空いているから蕎麦でも撒くか」この一言が石臼挽きの始まりと言える。

そば撒き

翌日、神子原の知り合いに「そばの撒き方を教えてほしい」と問い合わせる。

8月、畑をトラクターで耕し、畝をつくり筋蒔きで畑一枚仕上げる。畑は赤土でその頃の土壌は肥えていたのか、すくすくと育った。九月から十月にかけ、白い花を咲かせ、それは見事な光景だった。雑草も少なく、赤土より、赤みを帯びた蕎麦の茎の群れがすくっと伸びている様が焼き付いている。   花の最盛期を過ぎるころから三角の白い実が目につくようになる。その実が、うっすら黄緑色になり、茶色に、そして黒色になってくると「刈り取りOKのサイン」だ。

収穫

収穫が始まった。家の母ちゃん、親戚のおばちゃんたちと手刈りで一日では終わらなかった。腰も膝も痛くなった。「自分は何をやろうとしているのか」と思った。逆さに「架干し」をした。これはポロポロと落ちる、先輩方どうやっていたんだろうか。雨露や場所の確保が大変だ。このやり方は無理があった。その数日後に脱穀。それらも、神子原から学んだものだ。いろいろと教えていただいた。次の年は草刈機でパタパタっと倒して、集めて「足ふみ脱穀機」で実を取る。体力は使うが、合理的で速い。家の前で「天日干し」「唐箕」でごみを飛ばし、石や泥の固まりを取り除く、手作業が続く。「辛気臭い」と言われたこともあったが、全然、苦にはならなかった。粒を見て、触っているときは、手探りの楽しみのような思い。「そばになってゆく」という感じかな。どっちかというと嬉しいですね。キャスターの付いた、たたみ一畳分の天日干し台、2台を作った。

石臼探し

;さあ粉挽きの準備だ:「形にしなければならない」石臼探しが始まった。そこらじゅうに問い合わせをしたが、なかなか見つからず、また譲れないというのもあった。途方に暮れているとき、なんと家の納屋にニ台あるのがわかった。そのうちの一台は欠けていた。もう一台は大丈夫だった。本当に「灯台下暗し」だ。

粉を挽く

納屋のすみに置いてあった石臼は一度、水洗いをし、乾かした。昔から家には必ず一台はある生活必需品。上の石と下の石とすり合わせることで粒を砕きつぶし押し出している。この理論はとりあえず解った。まず、石臼は使ったことはない。回す速さと入れる量、「ふるい」のことが解らない。そこにあるもので、お菓子用のふるいを使った。今は4種類のふるいを使っているが、石臼の話になると、どちらからともなく出る文句がある。「空臼は絶対にしないこと」これは大切なことだ。私は現在、一分間にだいたい25~30回転手挽きしている。やり方はその時の視点で変わっている。ふるいのかけ方も変化している。同じであることはない。


粉挽き親父の独り言

~新蕎麦~福井県大野より                               

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粉挽きで始まる…

一日の始まりは

粉挽き…

 

続けてるうちに

職人になる…

 

今日も旨い蕎麦になるよう…

 

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ちょいと(^u^)休憩…

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粉挽きが終わった

粉挽きが終わった…

紅茶けた欅の葉が水色の空と重なって、眩しい~スーっと肌にあたる、風が心地いい。

今日も、心尽くせますように…


がんばります。

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実りの秋

朝起きると、そば挽き部屋に暖簾ができている…(笑)これも在りかな…

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粉挽き部屋


山の向うから、うっすらと明けてきた。


ひんやりとした粉挽き部屋…


さあ、もう一息! ヨイショ!

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よいしょ(笑)

ほどよく、切れる感じの時がある。今日は、まな板のあたりがよい。マイ包丁(^v^)集中しているようで、他の事を考えていたりする。手は止まっていない…「よいしょ」の声が 気分転換になっている。

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